台風とわくわく
皆さんは子供のころの台風の思い出は何ですか?
起きたら学校が休みになり、普段開きっぱなしの雨戸は閉められ、テレビのニュースでは台風の情報ばかり流れ、給食の代わりに母の手作り焼きそばを食べ、夜はろうそくの明かりで過ごす”非日常”にわくわくしたのは私だけだろうか?
なんでも人は台風が来ると本能的に危険を察知しアドレナリンが多く
分泌、その結果興奮状態になり人によってはわくわくするのだそうだ。
おそらく自分はアドレナリンの興奮状態がわくわくに変わるタイプの人なのだろう。
学校とかで誰かが喧嘩をしだしたときも、だめだよーなんていいつつ腹の中では
すごくわくわくした。何が起きるのだろう?これがもっと大事になったら
どうなるんだろう?と。
私は比較的多くの人に”優しい””お利口さん””真面目”という善人を煮詰めたような評価を
受けるがそんなことはない。日々トラブルを起こしそうな人の近くに行き
何か起こるのか見たいだけである。むしろ悪人に近い。
私は人に誇れるような人間ではないとおもっている。
つくづく人の評価とはあてにならないと感じる。
他人はいままでの行動、結果だけを見てその人を評価する。
自分自身の本質は”過程”である。
なぜそれを行ったのか?
なぜそう考えたのか?
そこで出てくる単語こそ人の本質的な欲求である。
そう思うと血液がぐつぐつ煮えるほどわくわくする事は
私の根幹的な欲求なのかもしれない。
田舎から都会の大学に進学したのも
私が大学時代軽音学部に入ったのも
一人で出雲大社に車で8時間かけて行ったのも
友人と四国一周したのも
すべてはわくわくする(したい)自分の欲求からでた行動である。
そうした欲求の元に選択したものは例外なくすべて満足いくものである。
最近はというとそんなわくわくはめったに起きなく普通の日々を過ごすだけになっている。仕事内容も慣れてきたことによるマンネリ化がひどい。
転職サイトで求人を探してみるも行きた会社がない。
厳密にいえば条件のいい会社なんていくらでもあるが、
そこに入っても業務内容的にすきなことではない。
そんなことを6月から今日まで続けているのだから
自分の求める会社はどこにもないのではないかさえ思う。
自分の未熟さを痛感し好きなことでは食ってはいけない社会の厳しさをまざまざと
感じさせられた。
こんな自分のままではいけないと色々と考えをめぐらす中で
ひとつブログを始める結論に至った。
自分の考えを文字にしてまとめて発信することから始めてみようと
おもった。
初めて5日。まだ100人も見ていないが誰かが見てくれるたびに
あの頃のわくわくがよみがえってくる。
まずは1か月頑張って続けよう。
皆さん台風には十分気を付けて
それではまた明日