Oko diary

雑記ブログです。日々思ったことを書いてます。音楽、映画、読書なんでも好きです。

結局アーティストの中で誰が一番歌がうまいのか?

 

 

結論から先に言っておくが誰が一番歌がうまいかは適切な場所・環境を設けて検証すれば決定できるが倫理的にやるべきではないと私は考える。

 

 

音楽好きにとって歌のうまさについて議論になることがしばしばある。

やれ最近のアーティストの〇〇がうまいだとかアイドルの〇〇はうまいが〇〇はそんなにうまくないだとかやっぱ洋楽は次元が違うなんて話をすることは若い人たちに多い気がする。

歌のうまさには様々な要素がある。リズム感だったり音程の安定性や、音域の広さ、

ビブラートやファルセットなどのテクニックの引き出しの数、単純な声量、滑舌等、

それらが議論の中で”アーティストの評価基準”になることがよくある。

〇〇のハイトーンがきれいだとか、〇〇の声量がすごいだとか自分の推しアーティストのプレゼンをするときに絶対なんかしらのボイトレ専門用語を絡めてくるだろう。

 

ただその議論で果たして1位が決したことはあっただろうか?

 

実際にテレビで”歌がうまい歌手ランキング”みたいな企画があるときはTwitterは荒れているのをよくみる。

にちゃんねるでもアーティストをSランク~Fランクに区分けするスレッドもあるが、

毎度”〇〇はSランクだろ!!””〇〇はAランクは言い過ぎ”等激論をいつまでも繰り広げている。

 

なぜ令和の今になっても”一番歌がうまい人が決しないのだろうか?”

 

当たり前だが人によって”歌のうまさ”の評価基準、が違う。

人によって感じ方、聴こえ方、育ちが違うように好きなジャンルや声質、フレーズ、曲調も人それぞれ違う。それに対して”誰が一番歌がうまいのか?”というとても

曖昧な議題に対しては個人の趣味嗜好がゴリゴリ入る。

 

そんな中でみんなが納得する1位など決めれるはずがないのである。

 

ハイトーンを評価基準とする人と甘い低い声を評価基準とする人とではとても議論になるとは思えないのは想像に難しくない。何ならもう殴り合いでもするのかという最悪な組み合わせである。絶対同じ部屋に閉じ込めてはいけない。

 

色々とだらだら書いたが私が人の歌を聴くときに絶対的な評価基準がある。

 

もうアーティストとして大前提の話だとも思うのだが、

私にとっての歌のうまさは小手先のテクニックではなく単純に

”もう一度聞きたくなる歌声かどうか”だ。

 

ライブ然り

CD然り

youtubeのPV数然り

アーティストはオーディエンスに自分の曲をたくさん聴いてもらわないといけない。

1曲聴いて”うまいね”で終わるアーティストが売れるわけがない。

もう一度この人が歌った曲を聞いてみよう!

この人が歌った他の曲を聴きたい!

生の歌を聴きたい!

〇〇の曲をこの人が歌ったらどんな感じになるんだろう?

これらは曲調が好きだからとかそういう顕在意識ではなく

潜在意識に訴えかけるものである。

 

潜在的にそう思わせるアーティストは歌がうまいということだと私は考える。

 

こう思わせてくれるアーティストはもうすでにyoutubeのPV数を稼いでいるはずだ。

実際にカバー曲を何曲も上げてPV数を稼ぎメジャーデビューしたアーティストは何人もいる。

 

そこで”もう一度歌を聴きたくなる歌声の人”=”歌がうまい人”という前提で自分なりに一番歌がうまい人を検証するとしたら下記の手順を踏むだろう。

①アーティスト全員に同じ曲を歌わせyoutubeにUPする

②PV数が多い上位50%の中からほかの曲を聴いてみたいアーティストを投票する。

③投票数が多い上位50%のアーティストに別の曲を歌わせyoutubeにUPする。

②、③を1人になるまで続ける

 

かなり手間暇かかる内容だが現実的にAI等を導入すれ実現可能である

少なくとも日本で一番歌がうまい人は決定できると私は思う。

 

だがしかし である。

 

私はけっしてそれはしてはいけないと思う。

歌というものは人の感情に訴えかけるものである。

一般のオーディエンスの中にはアーティストに心を支えられている人もいる。

人生を変えられた人もいる。

仮に自分の好きなアーティストが1位になれなかったとしたらまるで自分の存在が否定されているみたいじゃないか?

自分の好きなアーティストがすぐれていないと評価されているみたいですごくショックを受けると私は思う。

なのでそんなことは決してやるべきでもない。

倫理的に。道徳的に。

音楽ってのはそんなんじゃなくもっと人々の熱い思いが詰まってると私は思う。

 

 

 

 

逆に言うと歌い手、ボーカルは小手先の技術よりももう一度聴いてもらうための努力をするべきだと私は思う。ビブラートやハイトーンボイスはあくまでそのための手段であってまずは聞いてもらう人の立場に立って練習するのが一番の近道ではないか?

 

この記事を見る人は歌うことが好きな人だと私は思う。

皆さんが楽しんで歌ってくれるならそれはそれで私は嬉しい。

ただ歌をどうしたらうまく歌えるか悩んでる人はぜひ”もう一度聴きたい歌い方をしているか”を意識して練習してはいかがだろうか?

 

長々と書いたので日付を回ってしまった。

本来ならもっと詳細にエビデンス等乗っけるべきなのだが

一日で書くにはあまりにも自分の力量不足でした。

駄文失礼しました

 

それでは また明日

 

 

 

 

昔みた記憶に残っているアニメ

 

 

青山剛昌先生の代表的な作品は

名探偵コナンなのは皆さん周知の事実だと思う。

では前作は何ですか?と聞かれたら

YAIBA」、「まじっく快斗」、「4番サード」があげられる。

では先生が作ったお話の中で一番印象に残っているのは何ですかと聞かれて

どのお話をあげますか?

 

私があげるとするなら青山剛昌先生のデビュー作である

「ちょっと待ってて」を挙げる。

私は子供の頃ちょうどアニメでこの作品が放映されており意図せず偶然見る形になった。(今思うとほんと偶然だと思う)

最初に見たときはコナンみたいな作画のアニメだなと思いながらみていたのだが、

あまりの起承転結の綺麗さに引き込まれ、見終わった後のなんとも言えない余韻は強烈記憶に残っている。

※画像はイメージですがほんとにこんな感じでみていました

 

それが青山先生のデビュー作と最近知ったのだが、いまだに信じられない。

 

この作品は天才発明家の高校男児と2個年上で付き合っている年上の彼女とのラブコメである。この話主人公が”高校生で発明家”というかなりぶっとんだ設定なのだがさらに彼女との年の差を意識しタイムマシンを作ってしまうというさらにぶっとんだストーリー展開を見せる。さらにはそのタイムマシンでヒロインが2年後の未来にタイムスリップしヒロインも時間的にぶっとぶ。

未来に行ったヒロインを忘れないために主人公はあらゆる手を尽くすが健闘も虚しく

すっぱり忘れてしまい新しい彼女もできる。

ヒロインがタイムスリップしてからちょうど2年たったある日、とあるきっかけでヒロインの存在を思い出す。

タイムマシンが到着する場所を持ち前の頭脳で割り出し、体育で使うマットを置いて無事ヒロインがマットに着地する。同い年になれたねとハッピーエンドを迎えてこのお話は終わる。

 

とこんな感じで

すっごくうろ覚えなので細かいところが間違っていたら申し訳ないのだが見終わった後なんとも言えないすっきりした気持ちになったのをよく覚えている。

 

今見たらまた違う感想を持つのかなと思うのと、青山先生の別作品も読んでみたいので

今度短編集を買ってみようかなと思う。

読んだらしっかり感想を書きたい。

 

それではまた明日。

ピクミン4出るやん!!!!!!!!!!!

 

※画像はイメージです



先日ニンテンドーダイレクトが配信されました。

 

妻がスプラトゥーンの新情報が見たいといいテレビでyoutubeを起動し見ていた。

私は正直あまり興味がなかったので携帯と交互に見ていた。

 

 

「PIKMIN4」

 

の文字が目に止まった。

 

は?え?ちょっとまって。

 

妻の手に持ったテレビのリモコンをぶんどり巻き戻す。

 

Hey! PIKMINの情報がやっていた。

これじゃない。

私が求めているのはこんなちっさな画面に映るピクミンではない、

おっきなテレビ画面に映る普通の世界でちっさなピクミンが駆け回るのが見たいのである。

 

Hey PIKMINの情報が終わり

 

宮本さんが次のゲームの紹介をする。

 

ベンチの下からのぞき込むようなカメラアングル。

奥にチャッピーが2匹いる。

 

ぷわーぷわぷわぷわ~(ラッパの音)

 

「PIKMIN 」

 

「PIKMIN4」

 

 

ピクミン4やん!!!!!!!!!!!!」

 

うわ!ピクミンやん!え!新作でるの!?やば!ツイートしなきゃ!

 

私はピクミンが好きである。

 

初代ピクミンは友達の家でやらせてもらってからどうしてもピクミンが欲しいあまり攻略本を買いひたすら読み込んでいた。

ピクミン2はいかにピクミンを殺さずに最短日数でクリアできるか極めていた。

ピクミン3の発売までの9年間、じらすにじらされ発売情報が来るたびにピクミン2をクリアしていた。

 

ピクミン3が出たときは家にWiiUがなく学生時代は音楽、勉強に勤しんでいた為ピクミンから離れていた。

能なし、金なし、彼女なしのだめ学生だった私は4年になっても単位が足りなく講義を受けていた。就職or留年のどちらかを決する最後のテスト期間中。

 

このタイミングで弟がWiiUピクミン3を買ってきたのだ。

 

もう一度言う単位がやばいんだわ。

20単位程残しており卒業するには絶望的な状況であった。

研究室の教授には割とガチトーンで

「親に留年した時にどうするのか相談しとけよ」と言われ、

父親には「留年したら学校をやめさせる」と脅された(マジで怖かった)。

学校の同期および母親にさえ「こいつ留年するわ」と思われていたことを卒業してから知った。

 

12月授業も大詰め。同期に「いや、ほんとにやばいんだわ…留年したらどうしよ…内定もらってるのに…」と不安を漏らしていた。

あの頃の私は精神的にも来ていたのかもしれない。

研究室のメンバーはそんな私の単位を優先してくれて早めに家に帰らせてくれた。

研究を任せて申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら片道2時間かけて家に帰り

 

速攻でピクミン3を起動した。

単位やばい でもピクミン3止めれないんだけど 

 

勉強しなければ留年するという焦燥感とピクミンを何としてもしたいという欲望が相まって私がした歴代ゲームの中で最速クリアしたのはいい思い出である。

(今思うとほんとにひどい 文字にすると余計に後悔の念が… ほんとごめんなさい…反省してます)

 

そんな青春が詰まったピクミンの最新作2023年まで待ちきれない。

 

グッズも欲しい…

 

それでは また明日

 

ブログを初めて思うこと

インフルエンサーのイラスト(男性)

 

ブログを初めて早13日が経とうとしている。

続けることの難しさはもちろんだが自己主張することも大切だと

ブログを書いていて思った。

 

ブログを始めた当初私はTwitterで「ブログをはじめました」とツイートした。

そうすると”ブログで収益化!””副業で月〇〇万円”とうたったアカウントに何人かフォローされた。

この人たちは自分のブログの何を見てフォローしてきたのだろうか?

今日のPV数は0である。誰も見ていなかった。

中には応援していますなんてメッセージをくれる人もいたが応援する人間がなぜ

私のブログを見ないのだろう。私が情報発信しているのはこのブログだけである。

フォロワーに恐怖心をいだいたが今考えると私の欲望が見透かされていたのではないかと思う。

 

転職活動がうまくいかず副業になるかもと思ってブログを書いてワンチャン収益化を狙う自分の欲望がフォロワーとしてにじみ出てるのではないか?

 

そもそも収益化とあるが本当に自分はそれが目的なのだろうか?

PV数にとらわれた記事を書くことが自分のやりたかったことだろうか?

他人のブログから情報を仕入れ、まとめた情報を自分のブログで披露して

またそのブログを見たブログ初心者が内容をまとめるというのはまるで

ねずみ講みたいではないか?

 

数字とかそんなのは関係なしにブログの醍醐味というのは自分の趣味を全面に発信して読者と共有することではないだろうか?

 

歌うこと

漫画やアニメ

登山

DIY

旅行

等私は多趣味なのでプロフェッショナルとして日記を書けるかはわからないが

自分の趣味を書くことが自己防衛にもつながるしより豊かな人生にもなるのかなと

思う今日この頃です。

 

高校時代、大学に入るために勉強を頑張る私にばあちゃんが言った”ゆっくりでも足を止めなければ頂上に着く”という言葉を思い出した。

 

回り道をしているかもしれないが一歩ずつ着実に進んでいこう。

 

それでは また明日。

 

 

エターナルブルーマイカ

今日は昨日の怠惰な私とは打って変わってシャキッとした私でした。

朝5時55分に目覚め歯を磨きそのまま着替えて6時10分には家を出る。

会社に着き、メールチェックをする。

5日間も会社を留守にしていたから。

とんでもない量のメールがたまっていた。

一通りさばき終わり。

今起こっている仕事のトラブル対応に追われる。

月曜日だってのになんでこんなに忙しいんだ。

今日は18時まで残業をしたからか疲れがすごい。

昨日の残りのカレーを平らげてソファーに横になると

もう動けない。

眠気に負けて今日のブログをさぼろうかと考えたが。

こんな日記でも見てくれている人がいると思うとなかなかさぼれない。

紙に書く日記だったらまた1週間もたたずに終わっていただろう。

アウトプットというのは大事だなと改めて感じた。

 

今日は残業の帰り道、洗車機で車を洗車した。

ほんとにきったなかったのでさすがにこれはもうそろそろ時期だなと。

最初のころは洗車機に入れるのは傷がつくのではないかと抵抗があったのだが

今ではとにかく気になったら洗車機にぶち込んでいる。

最寄りのガソリンスタンドによりちょっとお高いコースを選ぶ。

メニューを選び終わったら車を少し前進しエンジンを止める。

少しの静寂のあと

 

ぼばぁぁぁぁぁぁぁぁ

 

と激しい音を立てながら

洗車機は車の汚れを洗い流す。

1往復、2往復、3往復と気づいたら目で追いかけている自分がいた。

いつになってもこういう機械は見入ってしまう。

ランプが青色になったので車を発進させる。

少々水滴が残っていたので近くの駐車場に止めて水滴をふく。

車は光沢を取り戻し光の当たり具合できれいな暗めの青に

表情を変えた。私はこの色が好きでこの車を買ったのだなとふと思い出した。

 

ほかの車もきれいな青色をしているものはあるが光の当たり加減で

こんなにも表情が変わるのはこの車くらいである。

晴れの日には明るく大空のような青色をし、

夜になるとダークな怪しい青色になる。

単純にそれがかっこいいと思って買ったのだが、

今思えば単色だと見ていて飽きてしまうと潜在的

思っていたのかもしれない。

この車にはもう5年くらい乗っている。

これから子供ができ、後ろに乗せることを考えると

もう少し大きめの車も検討するべきなのだろうが

これ以外に欲しい車が思いつかないしまだまだ乗りつぶすつもりだ。

決して高級車ではないし新入社員でも買えるほどの車だが、

乗りたい車に乗れているんだなと少し幸せな気持ちになった。

一通り水滴をふき取り運転席に乗り込んだ時にほのかに新車のにおいがした。

 

それでは また明日

 

 

118歩の怠惰と8000歩の習慣

こちらは私のiPhoneが記録した今日の歩数である。

 

iPhoneが記録した私の今日の歩数

118の数字を見て愕然とした。

今日はそんなに歩いていないのか?

私はたとえ家にいたとしても携帯は手放さないため比較的生の数字だと思われる。

 

雑記ブログを書き始めて1週間以上たった。

私がブログを書き始めた理由として

・文章力を上げる

・日々の生活にはりを持たせるため

の2点が大きな理由である。

特に2つ目なんかはブログのもとになるような経験を探すために

外に出る習慣がつくというのをどっかで見たのだが、

全然そんなことはなかった。

人は”はいそうですか”とすぐに行動に移せるほど簡単には変わらない。

そのいい例が今日のぐうたらな私である。

しかしそんな一日でも日記としてかけてしまうのは考え物である。

 

さて。

とはいうもののまったく何もしなかったというわけではない。

118歩の中にも今日のストーリーがある。

 

今日はスプラトゥーン3を妻とひたすらやっていた。

妻はスプラトゥーンは前作からやりこんでおり、発表された時から

買いたいとずっと言っていた。

スプラトゥーンは1つのゲームで1人しかプレイできない。

昔のゲーム全般は1つのゲームで4人まで対戦ができるものが多かったのだが、

オンラインプレイが主流になったせいだろう。

妻は私と一緒にやりたいからもう一個買えというものだからswitchとスプラトゥーン

新しく購入し、実家からいらないテレビを持ってきてうちのテレビと2画面で

遊ぶことにした。

一昨日、昨日と予定が入っていた為ゆっくりできなかったのだが

今日は一日暇を作りやりこむことにした。

 

正直あまり乗り気ではなかったのだが、やっていく中であまりに負けが続くものだから

負けず嫌いの性格上なかなか止められなかった。

結局朝10時頃から夕方4時までただひたすら地面に色を塗っていた。

もちろんゲームに集中しているときは座ったままである。

今日歩いたのは昼食のチキンラーメンを作った時か歯を磨いたりトイレに

行ったときのみ。

そりゃ歩数も上がらない。

一昔前は毎日5km走るのを習慣にしており、一日8000歩以上あったのだが

今はそんな日は月に1回あるかどうかである。

健康の為にまた走るか。

しかしスプラトゥーンもやらなくては…。

ブログも続けなくては…。

グルグルグルグル考える

 

人の習慣というのは簡単には変わらなそうだ。

 

それでは また明日。

 

 

Driving my car

自分の人生をよりよくするために

考える時間をもうけ、決断する事はとても大切なことだと私は思う。

しかし時には決断しない方がよい時もあるとも私は思う。

それは心の調子がすぐれない時である

そんな時に下した判断でよかったためしは経験上もないし

話にも聞いたことがない。

知り合いでも心の調子が悪い時に思いの丈をぶつけて友人仲が悪くなり孤立した悲惨な状況になったのをみたことがある。

心の調子がすぐれない時に自分の思いのたけを他人にぶつけることは

私は絶対にしてはいけないと思う。

それは自分の意志ではない。

しかし発した言葉はのちに一生引きずる。

なのでそんな時は心も体も休めることが先決である。

ではそんな時はどうすればいいのか。

私は「他事を集中して考えないこと」が一つの答えだと思う。

 

私は心が病んだ時期があった。

一人で部屋にこもっていていると頭の中がいっぱいになるので

そんな時私は車を走らせる。

目的地は私の実家。

高速道路を使えば1時間もかからずに行けるが、なるべくお金を使わず時間をかけての下道をだらだらと走るのをお勧めする。

ラジオのどうでもいい話を聞きながら実家まで2時間かけて走ることが頭の休息になる。

自分は歌うことが好きだがこの時ばかりは車内で歌うのを止めている。

心が乱れたときは歌も乱れる。

ただ運転に集中してひたすら目的地を目指すのである。

この実家までの道中のように何も考えずに自分の決まった道を進むのがどんなに楽か。

自分の人生になぜカーナビがついていないんだろう。

誰でもいいから自分がやるべきことを指示してくれ。

なんてことを思っていたのが4年前。

今では周りのサポートのおかげで自分の人生をちゃんと考えれるほどの

気力と体力、心の健康を取り戻した。

本当に感謝である。

 

今日は実家に妻と帰る用事があった。

昼下がり、昔はそんな思い悩む時期があったなとふと思いながら。

私は高速道路の上を颯爽と走った。

 

それではまた明日