Oko diary

雑記ブログです。日々思ったことを書いてます。音楽、映画、読書なんでも好きです。

自分の思いを言葉にすることと 割り切り

会話をするカラスのイラスト

 

 

私はもともと小さい頃から自分の思ったことを口にしないタイプの人間だった。

仮に自分の意見を主張しようとしても相手の方が私より言葉のボキャブラリーがあるので、いい負かされてしまい会話を放棄する場面が多々あった。

そうやって自分の考えを言葉にしない癖がついてしまい、自分の考えを言葉にして伝えることが下手な大人になってしまった。

今、社会人になって自分の考えを言葉にすることにとても苦労している。

 

社会人では時に自分の考えを押し通す力が必要だと私は思う。

私が見てきた中で会社で評価されている人はそういった強引さがある。

私にはその自分の考えを押し通す力がはない。

言葉のボキャブラリーも会話のテクニックも度胸もないので

いつも人に振り回され、何か違和感や間違っていると思っても具体的に説明できないでいる。

 

今は裁量をもって仕事をしているので昔より自分の考えをはっきり言えるようになった。

苦手を克服できてきたのではとも思えたのだが自信を無くす出来事が昨日あった。

 

それは私が自主的に開催した会議での出来事。

私は自分の考えが明確にあるにも関わらず自分の言いたいことを通すことができなかったのだ。

相手の意見を捌きることができず聞き手に回ってしまい自分が言いたいことはほんの少ししか伝えることができなかった。

少し落ち込んだ。

「何がいけなかったんだろう」

 

会議の内容としては問題はなかったと思う。

実際に同席した同じ課の人には「まぁそうなるよね」と会議の内容に納得していた。

実際に会議も破綻していたわけではなく簡単な資料に沿って進行を行い

ちゃんと結論も出せた。

 

だが自分としては納得がいっていなかった。

ほんとに今回出た結論がベストな答えなのか

部外者に指摘されてもぶれないロジックの強さがあるのかが不透明だった。

何よりもっと自分の考えを押し通すことができたのではないかと深く考えこんでしまった。本当にこれでよかったのだろうかと。

 

「全然いいよ~」

 

と悩んでいる私にそう言ってくれたのは私の係長だった。

私の係長は人当たりが良く仕事での立ち回りもうまい。

わりと適当で忘れっぽいところもあるのだが信頼できる上司だ。

会議の結論に納得がいってない私は係長に会議の内容を相談したのだ

 

「だってそうでもしないと納得してくれないし、めんどくさいでしょ?あいつら」

 

なんて適当な…

 

しかし、そうか、こういう割り切った結論に着地してもいいのだと思った。

そう割り切れば参加したみんなが納得感があり、今回の会議はやってよかったのだなと思った。

少し心がすっきりした。

 

自分の考えを100%相手にぶつけないといけないというバイアスに私は

かかっていたのかもしれない。

別に自分思いが10%だけしか伝えることができなくても

残りの90%は他人の考えもあるからと割り切ることも一つの手なのだと

今回の経験から思った。

 

そして今までの私は自分の思いが100%のまま吐き出されずにいた為

苦しい思いをしていたのかもしれない。

伝え方や度胸などコミュニケーションのテクニックではなくこういった

他人は他人で考えがあると素直に割り切ることも社会人として大切なのかもしれない。

 

それでは また明日。